さーもんのゲーム与太話

ゲームの話と与太話

納得は全てに優先するキャラクター論

こんばっぱー。さーもんです。好きな寿司ネタはサーモンです。
マンガの柱のキャラ紹介で毎回違う紹介が載ってるやつあるじゃあないですか。あれがめっちゃ好きなので自分でもやっていこうかなと思いました。


さて、今日は(も)自分語り回です。
いつも通り以下の内容は根拠となるデータ等のない与太話です。

 

昨日の記事で自分にとって、フィクションの一番の楽しみはキャラ同士の関係性だって話をしました。そういうわけで今回は大本であるキャラの話を。キャラが誰もいなければ関係性は生まれないですからね。というかこの話してから関係性の話するべきだとは思うんですけど昨日が七夕だったからチクショウ!(彼岸島)


キャラ同士の関係を楽しみにしているがゆえ、作品を(評価すると言うと大仰すぎる気がするので)好きになるか嫌いになるかという基準は、かなりの部分をキャラに拠ってます。キャラのことを好きになるとそのまま作品も好きだってなりやすいです。

ストーリーや世界観設定、作品のテーマとかを軽視しているわけではないんですけど、あんまり気付けないんですよね。「矛盾した設定」とか、「無理のある展開」とかって。あまり論理的に考えず、基本的になんでも楽しいと思っちゃう。楽しいと感じる閾値が小さいのは自分の長所であり短所だと思ってます。

その点、キャラは感覚的に判断しやすいです。自分を卑下して言うならキャラというわかりやすい観点にとびついて、それをそのまま作品の好き嫌いの判断基準にも置いています。こういった意味で自分はセカイ系の作品好きになりやすいなって思います。『イリヤの空、UFOの夏』とか。

 

 


続いてじゃあどんなキャラを好きになるのって話を。
キャラを好きになるうえで自分にとって重要な観点は主に2つあります。
1つ目は登場するキャラたちが如何に魅力にあふれているか。
2つ目はキャラたちの行動や思考が納得できるものであるかどうか。

 

1つ目については分かりやすいかと思います。魅力って言ってますが自分の好みに合うかどうかです。
主人公なら不屈の精神を持っていてほしいし、ヒロインは気高く自立する強さを持っていてほしい。悪役ならもうがっつり吐き気を催す邪悪の方が好みです。
まぁ上にあげたのは好みの内のほんの一部なので実際は「このセリフいいな」とか「こういう性格好きだな」とか「顔が良い……」とかそんな要素を合わせて行って「このキャラ好きだなぁ」に行きつきます。加点式です。「人生なにごとも加点式」が僕の座右の銘です。
加えてもう1つ言うならば誰か1人突き抜けて好きなキャラがいるよりもキャラ全員の好き度の平均点が高い方がより好みです。いろんな魅力を感じられる方がお得じゃん?的な考え方です。

 


2つ目の話、キャラの行動や思考が納得できるものであるかどうかというものです。
この納得というのは自分が共感できるかどうかとか、現代倫理に当てはめて認められる行動かといったことではありません。そんなことはどうでもいい。
作中で今まで描かれてきたキャラ描写をもとに、そのキャラがその行動をとる、あるいは思考することに納得できるかどうかという話です。
「このキャラならこういうことを言うよな」、「ここでこの行動起こさなきゃこのキャラじゃないよな」みたいなことを思えるかどうか。
「そのキャラらしさ」というものを作中で我々に植え付けてくれて、かつそれに違わない行動をとらせてくれる。一文で表すならこういうことです。
まぁ一歩間違うと公式と解釈違いとか言い出す自分本位オタクになりかねないので行き過ぎないよう注意しないといけません。

 

このキャラへの納得の話、有名な作品で好例があって、それが『鬼滅の刃』だと思ってます。
ここからの話鬼滅読んでないと半分わからんと思うんですけど、まぁみんな読んでるやろ!(キメハラ)

鬼滅の登場人物のとる行動はこの納得できる感じというのが非常に高いと思います。一番納得できるのがラスボスの無惨様になってしまうんですけど、縁壱との対峙の後身を隠したこととか、最終決戦中夜明けが近くなるとなりふり構わず逃げようとしたこととか、最後の最後にも炭治郎に託そうとするところとか、本当にらしいなって思わされるんですよね。
味方キャラだと蛇柱の伊黒さんも好例だと思います。煉獄さんの死を知った時の「俺は信じない」とか上弦陸戦のあとの派手柱への悪態とか、後々になり伊黒さんの人となりがわかるにつれて、あの時のセリフはすごくらしいものだったんだなってなりました。

なんで鬼滅のキャラは納得させてくれるのか。それはキャラごとのプロフィールが詳細に詰めてあるからだと思います。すべての行動が詰められたプロフィールから生じているために、一貫性があり、筋が通っていると感じられる。
それは作者自身(=作り手)のキャラに対する解像度の高さがあるがゆえに、描写を通して読者(=ユーザー)もキャラへの解像度を高く持てることに繋がっていると考えています。

もちろん、キャラの詳細を詰めずにいるからこそ、柔軟な対応ができてそれが面白さに繋がるということもあると思います。だからこれは個人的にしっかり詳細まで詰められたキャラが活躍する作品の方が好きだって話です。

 

詳細なプロフィールっていろいろ種類あると思うんですけど個人的に少女漫画で時々ある好きなアーティスト(音楽)の項目好きなんですよね。ジャンル問わず現代が舞台の作品では裏テーマでもいいから決めてくれないかなっておもう。あとキャラ紹介で毎度違うこと書いてるやつが好き。あいさつで言ったやつですね。伏線回収、はい今日やりたかったことはこれです。

とにもかくにも詳細が詰まっていれば詰まっているほどキャラ描写の説得力が増していくと思っています。「神は細部に宿る」という言葉はここでも意味を持つはずです。

また、上記のような説得力のあるキャラ描写、納得できるキャラの行動っていうのは、そのままキャラの魅力に直結していると思うんですよね。一本芯のある、筋の通った人物は好ましく感じられますし、裏を返せばブレブレのキャラクターはどこか魅力に欠けるように思われます。
納得のいくキャラ描写ってのはかなりでかいものだと感じます。『「納得」は全てに優先するぜッ‼』とはジョジョ第7部スティール・ボール・ランに登場するジャイロのセリフですが、このセリフに今回自分が言いたいことすべてが詰まっています。


以上、久しぶりにスティール・ボール・ランが読みたい話でした。