「生まれた意味」が欲しかった。
何かを成し遂げ、生涯誇りにできるような偉業が欲しかった。
心血をそそぎ、何を犠牲にしても惜しくないような目的が欲しかった。
私はどんなこともそれなりに出来て、でもそれなり以上にはなれなくて、だからどんなことにもそれなりの情熱しか持てなかった。
私は「生まれた意味」なんて見つけられなかった。
本当の意味で「生まれた意味」を見つけられる人なんて極少数だ。
他の人は「生まれた意味」にどう折り合いをつけているのだろうか。
「生まれた意味」なんて子供みたいな考えだって唾を吐くのだろうか。
何かそれなりのもの——例えば、家族とか仕事とか——を「生まれた意味」だって妥協するのだろうか。
私にはそのどちらも選ぶことができなかった。
不必要だと唾棄することも、代替品で誤魔化すことも。
「生まれた意味」を見つけられずに生きていること。
「生まれた意味」なんて思春期みたいな妄執にとらわれて生きていること。
どちらが私の本当の後悔だったかなんてわからないけれど、私がリドゥに囚われたのは当然のことだったんだろう。
だから、キィと出会い、この世界が現実でないと知り、帰宅部を結成したとき、私は心底嬉しかった。
帰宅部部長としてみんなと戦い現実に帰ること、これが私の「生まれた意味」だと思った。
最初の内こそ熱に浮かされたようなフワフワと地に足がつかないような感覚だった。
でも部員が増え、みんなの後悔に、心に踏み込み、そしてつらい現実でも前を向いて歩く覚悟を決めるみんなを見て、私の中の脆い意思は確固たる決意に変わっていった。
絶対にみんなと現実に帰る。それこそが私の「生まれた意味」で、私が現実に帰った後も前を向いて生きることのできる理由になるんだって確信した。
私は誰にも後悔のことを話していない。
でも、みんなの後悔に触れるたび、みんなが心の声を叫ぶたび、私の心も「同じだ」って叫んでいた。
みんなの後悔はみんなだけのもので、私の後悔も私だけのものだ。話を聞いたからって理解したなんて傲慢なことは言えない。仮に私が誰かにこの後悔を話したとして、理解できたなんて言われたくない。
けれど、どんなにつらい現実が待っていても、リドゥを出て現実の中でもがいて、足掻いて、前に進みたいって気持ちだけは一緒だ。
ここには私の望む全てがあった。志を共にする仲間がいて、ナイフを振るう理由があって、大きな目標があった。まるで物語の主人公に自分がなったみたいで夢見心地ですらあった。
いつまでもここでみんなと時を過ごしていたいと思うほどに。
だけど、この世界に甘え続けることをみんなの覚悟を聞いた私自身が許せない。
だから、この塔の上でリグレットを倒して現実に帰ろう。
吟/詩歌にとって何者でもない自分でいられる友人として
ささらさんにとっての家族の一員として
切子にとって同じく他人を放っておけない仲間として
鐘太先輩にとって悩みを相談できる後輩として
小鳩先輩にとって青春を取り戻す同志として
劉都にとってどうでもいいことを一緒に楽しめる大人として
イオリにとってニコじゃなくてあなたが好きなのだと伝えられる先輩として
茉莉絵にとって回復を待ち続ける親友として
そして、キィのハンシンとして。
私の後悔はもうすっかりなくなった。それなりでしかない現実で歩いていく力をみんなにもらった。ならばあとは現実に帰るだけだ。
さぁ、私の「生まれた意味」をやり遂げるため、最後の帰宅部活動を開始しよう。