さーもんのゲーム与太話

ゲームの話と与太話

競馬の本を買った話と少女歌劇レヴュースタァライトを見た話

こんばっぱー。さーもんです。メスガキには負けたい派です。昨日キャラ紹介のやつやりたいって言って2回目がこれなのはどうなんだって自分でも思います。



以前ブログでも紹介した『アイドルホース列伝1970-2021』を読み終えました。

最初の感想と変わらず競走馬のファンの生の声みたいなのを読めるのが楽しかったです。Amazonのレビューに「競馬ファンの居酒屋談義」って言葉があったのですがまさにそんな感じです。まあそんな経験ないんですけど確かになあと思いました。


読み終わってもっと詳しい本を読みたい、もしくは1頭に特化した本を読みたいなあって思いました。
そこでこれまたAmazonのレビューに書いてあった「もっと詳しく知りたいと思った人は『名馬を読む』がおすすめです」との言葉を信じてシリーズ3冊を注文しました。

Kindle版がなかったので紙の本です。

住んでる地域的に届くのが遅いので電子でも何か欲しいなと思いもう1冊購入しました。『黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語』です。これから読みますが楽しみです。

ウマ娘を入り口にして競馬に入ったので自分はスポーツとしての、あるいは様々な人と馬が関わる物語としてのドラマ性を競馬に求めてるんだなって、読みたい本を探しながら自覚しました。
ところで「競馬 本」とかで検索すると上にあげたような本じゃなくて「賭けるべき馬の見分け方」とかギャンブル寄りの本が多く出てくるんですよね。なんか上手い検索の方法ないのかな。



さて、ここから本題。「少女歌劇レヴュースタァライト」というアニメを見ました。今YouTubeで全話無料で見れます。

https://youtube.com/playlist?list=PLFdiFVi-V6qOgRd14aRUsDTIzstO82EGS
レヴュースタァライトに持っていた印象は、Twitterでフォローしている方(フォロイーって言葉に馴染みがないので使いません)が「大場なな」ってキャラに執心していることと、他にも何人かの方が好きらしいということくらいでした。
ただ先月始まった映画の評判がかなりよかったんですよね。ミーハーな自分は少し気になり出しました。そして気になってるところにYouTubeでの無料配信が来ました。もし後々何かの機会で見て好きになることがあれば、映画館で劇場版を見れなかったことを後悔してしまう、そう思ったのでこの機会に見ることにしました。
結論から先に言うと12話まで視聴後、TVアニメの再生産総集編「ロンド・ロンド・ロンド」をアマプラでレンタルして視聴し、明日の映画の座席を予約した。そうハマった。

以下ややネタバレあり
ネタバレダメ絶対派の友人はここでバックしてYouTubeに見に行ってくれ















あらすじはまあWikipediaのあらすじの項目でも読んでくれ。少女たちがトップスタァの夢を賭け互いにその想いをぶつけ合って戦うみたいな感じ。



自分は1話の後半主人公「愛城華恋」のバンクシーンの演出で心が持っていかれました。特に幼馴染との約束の髪飾りを「燃料」として舞台少女の上掛けを作ると言う演出。
レヴューオーディションに勝利した舞台少女は他の参加者の演劇への情熱(=キラめき)を燃料にしてトップスタァになるということが後に明かされるのですが、1話から使うバンクシーンですでにちゃんと示唆されてるんだなあって後から思います。
他にも伏線、のちの展開の示唆となるような演出・セリフ・キャラの動きそして演出を用いてキャラの心情を表す場面が山ほどあります。初見でもいろいろ見つけられるんだから多分何度も見ることでどんどん深みが増していくスルメ(だけど1度目から旨みが出る)タイプのアニメだと思います。


次にキャラの話。
1番好きになったのは露崎まひるちゃんでした。まひるが「アタシ再生産」する5話もめっちゃ好きです。まひるが好きだから5話が好きなのか5話が好きだからまひるが好きなのかちょっと因果関係はわからん。
スタァライトのキャラクターたちは結構思春期の少女らしい「歪み」とも「欲望」とも言える心を持っていて、そういったものをレヴューを通して昇華=再生産していく。そんな話の作りの中で、歪みも含め1番好きだなって思ったのはまひるでしたね。


さっきからレヴューって言ってますけど、これは舞台少女同士が互いの武器を用いて戦い、上掛けを落とした方が負け(ボタンで止められてるのでそれを切られることで落ちる)というルールの勝負のことです。
このレヴューも演出が凄くて、戦い合う舞台少女たちが歌いながら、想いをぶつけ合いながら戦うと同時に、舞台装置、小物、スポットライトと言った舞台の裏方部分が状況に応じて動き続けるんですよ。これらのマッチングがすごく興奮させてくれる。6話と10話のレヴューが僕は特に好きです。



続いて大場ななというキャラについて。
このキャラは前述のレヴューに何度も勝利して何度もトップスタァになっています。トップスタァになった舞台少女には「運命の舞台」に立つことができるのですが、彼女は昨年度の自分たちの舞台の再演を行うことを選び続けてきました。つまるところ何度も時間をループして舞台の準備から舞台の終わりまでの学園生活を送り続けていたのです。それは1年目の舞台の後退学を選んでしまったクラスメイトがいたことをきっかけとした、みんなを守りたいという歪んだ庇護欲の現れでした。

ただ、なんというかレヴュースタァライトすげえなって思ったのはこの大場ななというキャラが話の主軸では決してないことだと思うんですよね。普通ならラスボスになってもいいくらいなのに、7話から9話で(他キャラより多い3話使ったとはいえ)話が終わってるんです。しかもループしてたということは親しい友人である星見純那しか結局知らないんですよね。ものすごく贅沢な作り方をしてるなって思ってしまいます。
最終話でななが演じる女神のセリフとして「よくぞ真実に辿り着きましたね」と華恋に言うのですが、実に象徴的なセリフです。


最後にキリンのセリフの話。
レヴュースタァライトにはレヴューオーディションの主催者的立ち位置としてキリンが出てきます。ツダケンの声で喋ります(口は動いてないから念話?)。これはもうそういうものだと思ってください。
余談なんですけどこのキリンもですし、そもそもなんで戦うの?みたいなことを冷静になると考えてしまうんですけど視聴中は別に「そういうもんね」と受け入れられるんですよね。これ多分ホビーアニメを見てた恩恵だと思います(自分は主に遊戯王)。ホビーアニメ見てると大抵の超展開はなるほどそうですかで流せます。みんなホビーアニメを見よう。閑話休題


最終話で彼?は言います。「舞台とは演じるものと見るものが揃って成り立つもの。演者が立ち、観客が望む限り続くのです」そしてクルリとこちらを向いて続けます「そう、あなたが彼女たちを見守り続けてきたように」と。
第4の壁を越えるメタ展開は好き嫌いが分かれると思います。というよりは使い方の巧拙が出やすいと言った方が正確かもしれないですね。
今回のメタ発言、僕は好きです。だってキリンは最初から異質な存在としてレヴューの場にいたのだから。視聴者代理としての役割があったからこその異質な存在と考えられるから。

セリフの中身も実に自分好みでした。
常々自分は「フィクションのキャラクター」を生きているものとして扱うように心がけてます。だからキャラディスはもってのほかですし、ソシャゲとかでもキャラを「引いた/引けてない」とかではなく、「来てくれた/まだうちにいない」とかって表現するようにしてます(絶対のものじゃないからたまに忘れる)。
フィクションを生きているキャラたちの活躍として見ることは、様々な展開において、作り物として見るより深い感情を伴って楽しむことができると信じています。
でもキャラを生きている存在だと思った上でフィクションを見るってのは残酷な行為でもあります。なぜなら生きている存在の悲喜交交を側から眺めてキャッキャキャッキャ騒いでるわけですから。
だからこそキリンが言う「自分はキャラクターたちの輝きを見たいと願っている」ということを自覚することは、彼ら彼女らへの礼儀なんだと思ってます。自分を単なる傍観者に置かないと言うか、強く望んでそこに立っていることを意識するというか。言いたいことこんがらマッチョになってきたわ。まあそんな感じです(ちなみに非実在青少年が云々とかそう言う話は全く考えてないです。フィクションはフィクションとした上で生きているものとして楽しむって話です)。

長くなってきちゃったのでそろそろ終わります。映画を明日見た後もう一度テレビアニメの方も見返したいですね。周回する楽しさが大きいアニメだと思うので。あとレヴュースタァライト2.5次元ミュージカルとは逆でミュージカル(舞台)を基盤に展開してるんですよね。舞台の円盤……興味ありますねえ。


以上、ただより高いものはないという話でした。