さーもんのゲーム与太話

ゲームの話と与太話

劇場版スタァライト2回目感想〜レヴュー毎に〜

7/21に3度目を観ました。その際の感想等は赤字で書きます。

こんばっぱー。さーもんです。好きなアイスはガツン、とみかんです。

今日の記事は昨日の話です。

終業後ダッシュで駅にチャリを走らせ、映画館に行ってきました。
お目当てはこれ。f:id:salmonmmtm:20210717155431j:plain
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2度目の劇場版少女⭐︎歌劇レヴュースタァライトです。

同じ映画を2回映画館に観に行くという行為、話には聞いてましたが自分では初めてやりました。

2回目でもすごくよかった。1回目と2回目は別の楽しさがありますね。何回でも観られるよこれ。もう1回は観に行きたい。あと行きの電車の中で漫画のオーバーチュアを読んでたのでより楽しめたと思う。


以下ネタバレあり感想。
セリフやレヴュー名は記憶頼りなので曖昧な部分があります。


















今回の来場者特典はスタッフのイラスト本でした。その表紙/裏表紙デザインがこちら。
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映画の中で幼い頃のひかりが華恋と観に行った舞台「スタァライト」のポスター。そしてひかりから華恋へのお手紙にもなったポスターです。
こんなんオタクが好きなやつやん(主語全体化)。
中身はスタッフのイラスト本です。見せられないよ。



内容の話

2回目と言うこともあって1回目よりも冷静な目で作品を捉えることができた気がします。
ただやっぱりテンション上がるシーンは爆上がりしてしまいますね。

一つ一つレヴュー毎に話していきます。


一つ目
皆殺しのレヴュー
本当にめちゃくちゃかっこいい。まず曲がカッコいい。「wi(l)d-screen baroque」曲のはじめ、ななが足でリズムを取るところからテンションが高まる。
一度トンネルを抜けて真矢とクロ、ななが対峙する場面で「ラララ〜ワイルドスクリーンバロック」と歌うところ狂おしいほど好き。21日のCD発売が待ち切れないなあ。

レヴューの内容はまだちゃんと自分で解釈し切れていないところがある。
この映画で描かれるワイルドスクリーンバロックはロンド・ロンド・ロンドで描かれてたようにななとキリンによる共犯のような部分があると思ってる(もちろん一番は観客=我々が望んだからってことになるんだろうけど)。
ななは舞台少女としてみんなが再び立ち上がるためにこのワイルドスクリーンバロックでの悪役を演じたんだと思う。

その前提で皆殺しのレヴューの各人を見てみる。
真矢様はすごくわかりやすい。
新国立という次を見据えながらも101回聖翔祭でのスタァライトも忘れてない。いつでも舞台に立つ覚悟ができていて、いつでも舞台を求めている。
だからこのレヴューでも唯一ななとまともに打ち合えたし、血を舞台演出だと看過できた。
決起集会で1人だけ他生徒に混ざってスタァライトを演じられていたのも同じことを表してるんだと思う。
先生との面談のシーンで舞台って言葉を使ってたのは真矢様だけだったと思う(曖昧なのでここ微妙)。ここ普通にまひるも面談で舞台って言葉使ってたからなんでもないですね。

逆に華恋もわかりやすい。
ひかりとの最高のスタァライトに満足してしまって次に何をすればいいのかわからない。すでに舞台少女ですらない。だからレヴューの場に立てず、電車に運ばれていく。

他のメンツどうだろうか。
この中でわかりやすいのは香子かなぁと思う。
香子は1人だけオーディションに固執してる。ななはそれを咎めていたんだと思う。だからななは「これはオーディションじゃない」的な言葉を呟いている。

では残るクロ、双葉、純那、まひる、そしてなな。
なな以外の4人はそれぞれちゃんと目指すべきところを見据えている。でもこのレヴューで立ち向かうことができなかった。それは舞台に上がるという意志を忘れかけていたからなのかなあ。舞台少女としての死。
実際クロちゃんは真矢様とのアニマルウォーズ中に「死に行くところだった」的なことを語っている。
憧れが強すぎて舞台に立つものではなくファンに近いものになっしまっていたとかそういう感じなのかなあ。ファンに近くなってしまったっていうのも一部分ではあってるけど、それ以上に第100回のスタァライトで満足してしまったレヴューで満足してしまっていた停滞していたって理由のが大きそうと思った。クロは真矢との会話で完全にそう言ってるしね。魂のレヴューに記憶かき消されてたわ。
そう考えると決起集会のシーンの持つ意味が大きくなるんだなって気付いた。他の生徒たちも第100回をすごかったと思ってて、それを超えられるか怖くて不安だって話をしてくれていて、でもそれを乗り越えていかなきゃいけない。それを次のスタァライトの台本のセリフを借りて「辿り着いた頂に背を向けて」と言ってるんだよね。
でも、オーディション参加組はレヴューとオーディションという特殊なイベントを経ていることで逆により第100回のスタァライトを特別視してしまう感情が大きくなっていて、停滞してしまっていた。そういうことなのかなって3度目で思った。それを再起させるためのワイルドスクリーンバロックだっていうのは2回目と同じです。

ななについては華恋と似た部分がある。舞台に立つことと舞台を作ること、どちらを選ぶべきなのか迷っている。だからこそワイルドスクリーンバロックという舞台を作ることとその舞台に立つことどちらも選んだのかなあとかそんな感じ。

本当にあやふやな解釈しかできていないまだ。
少しだけ自分の中で納得度を上げることができた。

二つ目
怨みのレヴュー
双葉と香子のバカップル。
基本的にはそれに終始してると思う。どちらも先を見据えてる2人ではあるけれど、大切なお互いに溜まった言えないわだかまりがある。それをスッキリ霧散させるためのレヴュー。
スタァライトには華恋とひかりっていう別サンプルの幼馴染がいるけどその2人とくらべてこっちの2人はなんというかしっとりしてる感じがする。
腐れ縁で、じっとりしてて見ようによっては切れかけてるようにも見えるけどその実絶対に切れないように絡まってる糸。
2人の乗ったトラック同士がぶつかるシーンで落ちていったのが香子のものだったのに今回気付けて細かいなあと思った。先に落ちて待つ立場になるのは今回香子の方なので。今までのままの関係ならば双葉のトラックが落ちてたんだろうなって思う。



3つ目
競演のレヴュー
まひるとひかりのレヴューですね。
これは1回目の感想に書いた通りまひるの成長がガッツリ見れて最高です。最後のまひるの口上、あんなん泣いちゃうよね。
自分は人間としての弱みを持ったキャラというのが好きです。そしてまひるはこのレヴューでそれを見せてくれた。
人を嫌いになってしまうというのは至極当然のことで、隠したいと思ってしまうのもまた当然のこと。でもそれを隠さずに曝け出した。
レヴュー上の演技の面もあっただろうけどまひるがひかりのことを嫌いだったというのは本音が入ってると思う。というか今回全てのレヴューは舞台でありながら舞台少女たちの本音が混ざる非常に境界線が曖昧なものばかりだった。
だからまひるがひかりを嫌いだというのも本音。だけどこのレヴューを最後まで見れば嫌いだけじゃないことは当然伝わるはず。
華恋という同じ眩い輝きに憧れていたまひるとひかり。そのまひるが言った「ひかりちゃんと競演できて嬉しかった」という言葉もまた本音だと伝わった。
3度目でもやっぱり泣いた。



4つ目
狩りのレヴュー
舞台という光の眩さに前が見えなくなってしまっていた少女と再演の果てに自分の頭の中の虚像を真実としてしまっていた少女が互いに目を覚ます舞台だと思う。
もちろん前者は純那で後者はななのこと。純那が蒐集した偉人の言葉たちという星を一刀両断するななが好きです。
TVアニメの方でななは純那の語るその言葉たちにもっともっととせがむシーンがあった。でもそのシーンで最終的に純那がが言ったのは自身の口上。自身の言葉を語る純那が一番輝いているとななは知っていたから、このレヴューでそれを教えてあげて、純那自身も借り物の言葉ではいくら積み上げても高みに届かないことを知った。
でもそれだけでは終わらなくて純那の持つ光は眩さはななの頭の中にあったそれを遥かに超える光量の熱を持っていた。だからこそ目覚めた純那にななは負けることになる。「あなたの用意した舞台の主役なんていらない」的な純那のセリフがそれを物語ってると思う。

余談なんだけどお互いがお互いに「泣いちゃった」っていうシーンあるんだけどちいかわのハチワレの台詞思い出してンフッてなるのやめたい。



5つ目
真矢クロのレヴュー(ごめん名前覚えてない好きなのに)魂のレヴューでしたね。他の部分覚えてたのにレヴュー名だけ忘れてた。今日見たら光とややかぶる位置に名前書いててそのせいだったのかなって思う。

美しいよね。ひたすらに美しい。舞台人と悪魔による舞台。前半部分は階段という装置をうまく使って、高低差によってその場における優位がどちらにあるのかを示してくれている。高低差は作品内のポジションの暗示だって国文学で習った。
後半からっぽの神の器を切り捨てられ、感情剥き出しになった真矢様とクロディーヌの一騎打ち。これが本当に好き。
「あなた今までで一番可愛いわ!」
「私はいつだって可愛い!」
のやりとりとかもう最高すぎて涙出てくる。
クロディーヌが「感情剥き出しのあんたが観たいって観客は思ってる」って言ってくれるんだけどまさにその通り。そして剥き出しにする相手は西條クロディーヌを置いて他にいない。
真矢クロしか勝たん。
舞台の終幕、契約書をかたどった額縁に映るクロディーヌの美しさは一級品の絵画のようで真矢様が負けてしまったのにも頷いてしまう。
終幕に際して十字架が焼け落ち、空っぽの神の器だった鳥が溶け出し、その目に燃ゆる炎が映る。このシーンをもっとうまく解釈に取り入れたいなあと思うばかり。
このシーンの少し前、2人が言葉をぶつけ合いながら落ちてきながら剣戟をあわせるシーンで段々と燃え出した炎が最終的にここに繋がってるんですよね。十字架が燃え落ちるのは「神真似を暴く」で表されてるように真矢が神の器ではなく人間だってことを表してると思う。で、空っぽの器が見つめる炎は真矢クロのぶつかり合いで燃え出したもの。ってことは真矢の感情をむき出しにできるのはクロだけって話をここでも重ねて表現してるのかなとか思った。やっぱ真矢クロなんだよな。



6つ目のレヴュー最後のセリフ
と、同時にこの映画の主軸について。
1回目を観た時は各レヴューに圧倒されて十分に作品の芯の部分を理解できていなかったように思う。2回目を観た今自分が作品の主軸だったんだなと思うのは「愛城華恋という少女が舞台少女になるまでと舞台少女ではなくなってしまった愛城華恋が再び舞台少女になるまで」だ。
TVアニメで華恋は常に主人公然としていた。真っ直ぐで、舞台に対して熱と愛を持ち、最高に舞台少女だった。
でも映画で描かれる幼い頃の華恋はTVアニメでの面影を全くといいほど見せてくれない。気弱で母親の影に隠れていて到底物語の主人公とは言えない。
でもそれがひかりからの誘いで舞台「スタァライト」を観たことで舞台少女として目覚めることになる。小学6年生や中学生の頃の華恋も描けれているがそちらではTVアニメと同様の印象を持つことができる。
実際電車のシーンでななが「それが華恋ちゃんが舞台少女になったきっかけ」的なことを言ってたし間違いないと思う。
ここで大事なのは幼い華恋が舞台少女になった時、同時にひかりを舞台少女として生き返らせているということ。「届かないなら諦めてしまおうと思った」ひかりを華恋は生き返らせてくれている。
だからこそ2人で舞台少女なんだと思う。

そして時間はTVアニメから後の話へ。ここは皆殺しのレヴューの時に記述したが今の華恋は何を目標とすればいいのかもうわからなくて舞台少女として朽ちてしまっている。
ひかりは華恋を舞台少女として甦らせなければならない。なぜなら幼いあの日自分を蘇られせてくれたのは他ならぬ華恋なのだから。
それが最後のレヴューの存在意義なんだと思う。つまりあれは究極的には華恋の「ひかりちゃんに勝ちたい」「私もひかりに負けたくない」だった。この映画で一番大切なセリフだと思ってるのに誤って覚えてた。ぐぬぬって言葉を発させるためのものだった。それが舞台少女愛城華恋の復活の契機になる望みだから。
それを2回目でちゃんと理解できた気がする。

レヴュー自体の話をすると復活した華恋とひかりの口上合戦、あそこの光の演出の使われ方がもうめちゃくちゃかっこいい。特にひかりの方で最後彼女の髪飾りの形と色に収束するところ。加えてひかりの口上は「今の私が一番わがまま、今の私が一番綺麗」とか「私がスタァだ」って言ってて真矢様とのリンクを感じる。復活前、華恋が「何もない」と言って倒れたシーンの後のひかりの台詞や動きは演技じゃないと思ってたんですよ。でも3回目を見てこれは演技だったんじゃないかって思った。もちろんセリフは全部本音なんだけど本当に死んだとは全く思ってない。ひかりは華恋を舞台少女として蘇えらせる術をここですでに掴んでいて、だからなんというかあの慌てっぷりみたいのは舞台の上の演技だったんじゃないかなって思う。
それにひかりが舞台上で演技をしないシーンは競演のレヴューですでにこなしてるから、なおさらこのレヴュー中のひかりは常に舞台少女として演技を続けていたんじゃないかなって思った。
繰り返しいうけどひかりが華恋を心配してないとかあの涙も演技だとか言うわけではなく、あれらは本音でありながら演技をしていたって感じ。自分で言ってても上手く説明できんや。

そういえば華恋とひかりの「約束じゃなくて運命だよ」という回想シーンについて。このシーンTVアニメだとすべり台の上で交わされた会話だった。けど映画ではすべり台の下で交わされている。これはこの時点でひかりと華恋がワイルドスクリーンバロックという舞台の上に立っていないということを暗示してたのかなあと思った。




長くなったけどとりあえず2回目を観ての感想はこれくらいかなあ。まだまだ観れば観るほど発見がありそうだ。

以上、国文学もっと真面目に受けて表現技法とか学んどきゃよかったなという話でした。