さーもんのゲーム与太話

ゲームの話と与太話

タウマゼイン

こんばっぱー。さーもんです。畢竟って言葉は漢文の授業で知りました。



『チ。-地球の運動について-』を読みました。
のでその感想。という書き殴り。
ネタバレもぼちぼちあると思うから気をつけてね。
チ。―地球の運動について―(1) (ビッグコミックス)










まあアレですね。土曜日の夜に読み終わったのですが例のアレになってました。名作を読んだ後特有の充足感と虚無感で動けなくなるアレです。本当に面白かった……。

地動説という「感動」を中心とした継承される物語で、地の話であり血の話であり知の話である。1巻のラファウの「畢竟、それは知性だ。」ってセリフが本当に最後まで生きている。抑えがたい知識欲に突き動かされる人々がうねりとなって1つの物語を作り出している。
そしてあくまで箱庭の中のフィクションである。C教って書き方やP王国って表記はぼやかしてるのかな?と最初は思うけどすべて最後のフィクションだからって部分に帰結するのは膝を打った。「君らは歴史の登場人物じゃない。」「この物語の悪役だったんだ。 」というセリフからもメタフィクション要素がうまく使われてるなあという印象。その上でアルベルト・ブルゼフスキに繋げることで描いてきたフィクションの物語を少しだけ現実に繋ぎ合わせるという構成。面白えよなあ……。

先ほど言った通りメインの登場人物は皆一様に知識に、真理に、自由に突き動かされている。唯一違うのは「悪役」であるノヴァクだけ。
自分が好きになりやすいキャラの特徴として、「それのこととなると周囲が目に入らなくなるレベルでとてつもなく好きなものがある」というのがある。その趣味があるから、この物語の登場人物は皆実に魅力的だった。誰も彼もが脇目も振らずに走り続け、自らの信念を貫き通そうとしている。「そんな状態を狂気と言う」のかもしれないけれど「そんなのを”愛“とも言えそう」である。「狂気」と呼ぶことも「愛」と呼ぶことのどちらもが間違いではなくその二つは両立する。物事の両側面を描くこともテーマになってたと思う。「文字」「金」「技術」「神の存在」、特に第3章で今までのキャラクターとかなり考え方が異質なドゥラカが出たことでこのテーマは加速した。そしてヨレンタの歴史認識の話に帰結するんだと思う。
しかしこうして文字にして振り返ってみると作品のテーマはすべて1集の中で提示されているんだなってことに気がつく。書きたいことと着地点をしっかり見据えてるからこそそうなってるんだろうなあ。

個人的に第2章が一番好きで、ベッドに転がりながら読み耽っていたのだけど3巻の終わりくらいで「マジで面白え……」ってひとりごちながらマットレスに突っ伏してしまった。「ああそうだ……。こんな最高の物語に会うために生まれてきたんだ……」と実感した。まあ幾度となく覚えた感情ではあります。これと出会うために生まれてきたって作品はいくらあってもいいんですよ。どこまで行っても自分は享受する側のオタクなので、受け取った感動を噛み締めて自分の中にじんわりと浸透させていきたいし、こうやって文字にして留めておきたい。
「生きることは知ることだ」みたいなことをいつかブログで書いたような記憶があります。書いてなかったらすまん。タウマゼイン。「?」と思う気持ちを、知りたいと言う欲求を、これからも激らせて生きていきたいと心から思います。

おまけの話。8巻の帯にLINEスタンプの広告があり、「汎用性抜群」などと書いてるので見に行ったらあまりに使い所がなさすぎる「印刷機だ。」でバカ笑っちゃった。
あまりに笑って悔しいので買いました。他のスタンプも汎用性あるの甘めに判定して半分くらいだったのでギャグなんだと思う。


では、この度はこの辺で。さらば!