さーもんのゲーム与太話

ゲームの話と与太話

「ガープの結婚」を読んで

こんばっぱー。さーもんです。今回はメギド72のイベント「ガープの結婚」の感想です。
当然ながら以下の内容にはメギド72のネタバレを含みます。また、根拠となるデータ等の存在しない与太話です。さらに今回はメギド72への贔屓目が入った思いが多分に含まれてます。

 

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「ガープの結婚」いいイベントでした。昨日みたいにスクショと感想つらつら並べるのも楽しいんですけど今日はもう少し焦点を絞って書こうかなと思います。

今回のイベントを読んで話したいなと思ったことは4つです。(4つって絞れてるか微妙なラインだな)
1つ目はイベントの大体の感想とメギド72の特色である後付けのうまさについて。
2つ目はクリア後に流れる歌「誓う言葉」について。
3つ目はこのイベントをソシャゲ的にとらえたときどういう意味を持つのか。
4つ目は今回一番刺さったセリフについて。

 

 

まず1つ目の前半について。
自分がメギド72を始めたのは3年前の7/4で、そのときは奇しくも今回のイベントともかかわりのあるフォルマウスの四冥王イベントの最中でした。
それから3年、実装済みメギドも随分と増えました。メギドの日のイベントは例年その時点で実装済みのキャラ全員が出演するイベントストーリーです。推しが絶対に出てきて一言はしゃべります。嬉しいね。

全員出てくると言ってもセリフ量に差はあります。たくさんしゃべってくれるとより嬉しくなります。今回だとガープはもちろん、フォラスとかゼパルが好きな人は嬉しかったんじゃないかな。あとベバアバとか。

個人的にはまたジャガイモを狩るものになってるウヴァルさんとかやっぱり技術力が飛びぬけてるダディオ(セーレの父)とかで笑ってしまいました。あとスコルベノトはやっぱ一番内面がメギドだよとも思いました。また、ガープの母親の回想、特に子守歌のシーンは泣きました。このイベント読むと情緒不安定になります。

ところでガープはユーザーによく「息子」というあだ名で呼ばれます。知らない人向けに説明すると、メギド72はキャラクターを成長させるときアイテムを贈り物としてプレゼントして育成します。この贈り物を渡したときガープは「お前は俺の母親かっ!」というセリフを言います。これが由来です。
でも、今回のイベントでおいそれと母親を名乗れなくなった気がします。いくら他人だといわれても息子を思う母の愛、ガープが母親に抱いていた思慕、そしてその別れを思うとなかなかね……。
自分含め多くのソロモン王はガープの母親として結婚式に参列してましたが、式の途中で友人席に移った気がします。それはそれとして息子と呼ぶ文化はもう定着してるので続くと思いますが。

 


さてここから1つ目の後半戦。
自分が思うメギド72が他のソシャゲと比較して際立っていると思う点に後付け設定のうまさがあります。
メギドの塔とかメギドクエストとかエンブリオとかオーブとか、とりあえずシステムとしてゲームに実装しておき、その後イベントやメインストーリーでそれらがいったいどういう原理で存在しているのかをお話にする。そういった話を面白いストーリーに仕立て上げながら説得力を持って違和感なく後付け設定として作る。これがめちゃくちゃうまいです。公式に後付けですと言われたわけではないのでほんとは最初から全部考えてるのかもしれませんが、それはそれで設定構築・世界観構築がうますぎるという話になります。

今回後付け設定として作られたのは前述した「お前は俺の母親かっ!」の母親に関する部分だと思います。サービス開始当初は自分が知らないのでアレなのですが自分が始めたころには既に息子呼びは定着していたと思います(歴史捏造だったらごめんなさい)。
そのことは運営側もわかっていたと思うので、その点からの今回の掘り下げだったと思います。ややネタ気味に受け取れていたセリフをここまで重みのあるジーンとしてしまうセリフに変えたそのストーリー作りの手腕。自分はやっぱりこのゲームが大好きだなってなりました。

 

 


2つ目にイベントストーリークリア後に流れる歌「誓う言葉」の話。
ストーリーで泣き、歌で再び泣きました。メギドの歌はイベントストーリーとがっつり絡み合っていて泣かせて来ることが多いです。笑わせに来ることも多いです。

特に好きなのは「愛させてくれてありがとう」という歌詞。

死別のその時まで母親に対する思慕を否定し続けたために、母親を愛することができなかったガープ。そのガープがイーナという伴侶を得ることができ、人を愛することができたというのは至上の喜びでもあったと思います。
人を愛することができるっていうのはその人当人にとってもうれしいことであると自分は思います。それは、愛する人がいる喜びとか、愛することを許されるという喜びとか、自分は人を愛することができるんだなという自己肯定感とかそういうものが混ぜこぜになった幸福だと思います。

米津玄師さんの「ゴーゴー幽霊船」という曲の中に「君に愛されたいと願ってたい」という歌詞があります。この歌詞は上記の歌詞とは逆方面から愛することと愛されることを考察できるなぁと思ってるんですが話がはみ出しすぎるのでまたの機会にします。

 

以前の記事で自分は歌詞派じゃなくてメロディ派だとか書いたのに歌詞の話ばっかりしています。だって「ここの和音がね」とか「ここの楽器の使い方が」とかそういうの話せないんですよ。音楽理論とか何にも知らないから。「ここがなんか知らんけど気持ちい」くらいしか言えることないです。計13年くらい楽器やってたのに何の糧も残ってないです。
ただ言えるのは歌の最後に「ソロモン王の伝説」のメロディを持ってきたこと。感動系の曲のときはこのメロディを持ってくればいいと思ってます。ええ、大正解です。このメロディがあると胸が熱くなりますし、メギドの曲だな!ってなるので。

 

 


3つ目にこのイベントがソシャゲ的にどういう意味を持つのか。
ソシャゲの仲間キャラクター、しかもメインキャラクターの結婚イベントなんて自分は初めてプレイしました。ほかに聞いたことも自分はありません。これはソシャゲとしてのメギド72にとって大きな意味を持つと思います。

ソシャゲって基本的に主人公=プレイヤーです。だからどうしてもソシャゲの仲間キャラって男女問わず、主人公のことを好きになってくれて一番に思ってくれるキャラが多くなると感じています。

でもメギド72の仲間キャラって基本的にそうじゃないんですよね。主人公のことを一番に思ってるやつはそんなに多くない。みんなそれぞれの1番大切なものがあって、そのために主人公に協力している。
そもそも多くのプレイヤーは主人公のことをプレイヤーである自分と完全に分けて考えていると思います。グロル村の出身で、故郷を失い魔を統べるものとなったソロモン王。そういった1キャラクターとして扱っている。
だから、ソシャゲだけど、仲間キャラがみんな主人公第一じゃない方が好きだって人が多くプレイしている印象があります。そしてそれを運営も把握していてくれた。だからこそ実装できたイベントだと思います。
ほかのソシャゲで仲間キャラクターの(主人公以外との)結婚なんて(妄想とか夢オチではなく)やろうものなら、下手すれば炎上、そこまでいかなくてもここまで祝福の声に溢れることは無いと思います。
このイベントはメギド72のシナリオを信じたユーザーとそんなユーザーを信じた運営との信頼の結晶である。大袈裟かもしれないけれどそう言えると自分は思います。

 

 

 

4つ目に今回のイベントで一番刺さったセリフを張ります。

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別に性癖的な意味で刺さったとかいうわけではないです。花嫁姿が描きたいなら式場で描けばいいでしょという言葉に対してこの反論。

多くに人にとって「結婚前の」花嫁がイイってのは理解はできるが共感できないといった感じじゃないかなと思います。結婚前の緊張とかこれからの不安とか、でもそれ以上になにより幸せを湛えたような面持ちの花嫁。実に画になる。でも新郎と並び立ちみんなに祝福される笑顔の方が良くない?みたいな感じで。

でもバールゼフォンは結婚前が描きたいって言うんですよ。この共感の有無とは関係のない好きなものへのこだわり。これを自分も大切にしていきたいなって思いました。たぶんこの気持ちを捨てて大衆的なものに迎合した先に自分の好きは無いんだろうなと感じたので。

 

以上、「ガープの結婚」を読んで語りたくなったことでした。